2012年12月17日

I'm the one - インタビュー

モートンのインタビューがドイツのウェブサイトに載りました。日付が見当たりませんが、facebookの情報を見る限り、先週終わり(12月14日)頃のようです。


Jolie.de: 最近のシングル、I'm the oneのタイトルとサウンドは素敵なラブソングのようですが、実は他の何かについてですね?

Morten Harket: その通り。僕の好きな対比だよ。はしゃいだようなメロディと、もっとシリアスな歌詞。自分は何者なのかを知り、その中で間違えることがあってもいい、ということについての歌。人というのは複雑な存在で、他の人と関わって妥協する必要があるけど、自分自身に正直で意識的に決断していれば、それでいい。

Jolie.de: I'm the oneのビデオではドラッグクイーンが主役を演じています。何を伝えたいのでしょう?

Morten: 彼女 - か彼 - はこのメッセージの究極の例だよ。自分で自分が誰なのかを分かっている時だけ、他の人や何かに対し良心に従って答えることができる。

Jolie.de: 女装した役で1日過ごせたら何をしますか?

Morten Harket: 悪いけど、全く想像できないよ!僕はそのままの女性が好きだし、惹かれるし、尊敬しているけど、僕は男でそれに満足しているから、このままでいる方が楽なんだ(笑)

Jolie.de: アルバム Out of My Hands でヨーロッパ・ツアーを行い、その後すぐに南米に行きました。長い間a-haにいた後、ソロでステージに立った感想は?

Morten Harket: そうだね、僕はもう1人だから何でも好きなことができるよ(笑) いや、真面目な話をすると何もかもすごい速さで起こっていて、今はa-haと僕との間の移行期アルバムみたいだった Out of My Hands とは違うサウンドの、新しいアルバムに取り組んでいる。わくわくするような展開で、新曲を披露するのが待ちきれないよ。

Jolie.de: オスロでの生活のことを教えてください。どこで食事をするとか?

Morten: 残念ながら質問する相手を間違えてるね(笑) ガールフレンドは料理上手だから外食は滅多にしないんだ。家で食べるよりおいしいことはほとんどないよ。

Jolie.de: じゃ、せめてオスロではどの辺りに車で出かけるか教えてもらえますか?

Morten Harket: いい質問だ!たぶんクリスマスイブがベストだね。みんな家にいて街はとても静かだから。 

Jolie.de: あなたも?

Morten Harket: もちろん!クリスマスに別の場所で過ごしたことは1回しかなくて、最悪の日だったって記憶があるよ。

Jolie.de: どうして?

Morten: まだ若い頃で付き合ってた女の子の家族に会いにギリシャに行ったんだけど、その家族は僕の相手をしてる暇はなかったんだ。

Jolie.de: あなたに対して?

Morten Harket: そう。何かうまくいかなくて誰もが忙しく、全く独りぼっちで見捨てられたような気がしたよ。(相手にしてもらえない)犬みたいに苦しかった。

 Jolie.de: 他にはどんな風にクリスマスを祝いますか?

Morten Harket: とても伝統的。古い大きな家を持ってるんだけど、することが山ほどあるんだ。飾り付けをしたり、クッキーを焼いたり、全てが完璧に普通通り。

Jolie.de: 自分でクッキーを焼くの?

Morten Harket: もちろん!どこでもそうだけど、簡単じゃないこともあるね。

Jolie.de: ありがとうございました。最高のクリスマスになりますように!

Morten Harket: ありがとう。君にも最高のクリスマスを!
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英語で話していたはずの内容がドイツ語で掲載され、それをGoogle翻訳で英語にして読むという伝言ゲーム状態ですが、I'm the one のビデオに関しては、以前のインタビューで話していた内容にも重なりますね。
それでも今回のインタビューは何となくゆったりと、自然体で話していたような感じがして、読んでいて楽しかったです。

2012年12月9日

I'm The One

11月にリリースされたモートンのシングル、I'm The OneのPVは10月に公開されました。
YouTubeのa-haオフィシャルチャンネルはモノクロ・バージョンですが、カラー・バージョンもあります。


このビデオに出演した人がベルリンの“クイーン”情報サイトで撮影時のエピソードを公開しているとfacebookで教えてもらったので、ここにまとめておこうと思います。


あるバンドが、最近ではほとんど消えてしまったような素晴らしいミュージックビデオで私を圧倒したのはずいぶん前のことです。a-haのメンバーは文字通り一夜でスーパースターになり、モートンの声が世界中のファンを感嘆させて約27年。その声が彼を独特の存在にしたような感じで、多くの人と対照的な違いがあります。
今回私が演じたビデオでのビフォー・アフターの違いは間違いなく大きな対照性で、あらゆる輝きや魅力とはかけ離れた普段の生活をリードできるようにしてくれます。私達ドラッグクイーンはメイクのシールドで簡単に人生のいい部分を生きられる時もありますが、これは真実ではなくなったのです。両方の人格を一緒にしないと、最初のころ厳格に守っていた過去の言葉に従うことはもうありません。このビデオ製作への関わりは予想できませんでしたが、本当にエキサイティングで、たぶん必要なことだったのでしょう。これから何が起こるのか、全く分かっていませんでしたが・・・

実際の仕事ではまだ暗い早朝に支度を済ませ、10個ぐらいスーツケースを持ってドライバーにピックアップされて移動しました。最初のセットでは素晴らしいクルーとの撮影で非常に楽しいものでした。既に多くのミュージックビデオを手がけたMutter&Vaterだったことが、唯一私が快適に仕事ができると思った理由です。ビデオでの役割ははっきりしていたので、説明するまでもないでしょう。何本かボトルの栓を抜き、犬を手なずけ、次のロケーションはとにかく素晴らしいステージのあるアドミラル・パラス(ベルリン)。そしてモートンに会いました。特に大好きなポップスターの1人でしたから自分では緊張するだろうと思っていたのですが、レディー・ガガに会って以来分かっていたように、ポップスターも人であることに変わりはありません。モートンは本当にいい人で、とても話し好きでした。長年ショービジネスの世界にいながら一般の人への敬意を無くさなかった。おめでとう!

私自身、Take on meのレコードを持っていて長い間大ファンでした。巨大なHDカメラがミュージックビデオを撮影している間、私がそのa-haの声(the voice of a-ha)の隣に立っていたとは驚きです。ドラッグクイーン人生に思わぬ贈り物。年月を重ねても、この人は得ただけで何も無くしていない。ショーン・コネリーのようにカリスマがあるというか、見事。この日は多くの興味深い印象を残し、14時間後には満ち足りた気持ちでベルリンの南にある自宅に送り届けられました。


ドラッグクイーンの変身ぶりは映画(プリシラ3人のエンジェル)ぐらいしか見たことがありませんでしたが、これもなかなか見事ですね。
ニコニコ動画ではどなたか歌詞と日本語訳を入れたモートンのPVをアップしてくれているようです。日本盤が発売されない中でこれはかなり嬉しいです。

(とりあえず保存した下書きが一時公開になっていました。英文ばかりの時に見て驚かれた方、お騒がせしました。)

2012年11月26日

Headhunters、日本上陸

a-ha解散後にポールが主題歌を担当したノルウェー映画、Headhunters(ヘッドハンター)が、11月21日からTSUTAYAでレンタル開始になりました。
販売開始は来年1月25日で今のところはレンタルだけ、ポールが気持ち良さそうにギターを弾いているPVも入っていませんが、意外なところで日本に来てくれて嬉しいです。


2012年11月25日

ファン投票 - 007 追記 - 2


歴代007テーマ曲の人気投票がいつまで続くのか分かりませんが、じわじわ票を伸ばしてトップに返り咲いたので、今週10月21日のブログに追記しました。
http://mashable.com/2012/10/02/adele-james-bond-theme-song-leaks-skyfall/

2012年11月6日

叙勲式

リアルタイムの速報はあまりしないのですが、今日だけは特別です。
以前に少し書いた勲一等の授与式が行われ、多くのファンが熱望していたネット中継も実現。さらに抽選で一般からの出席も認められたので、複数のa-haファンも同席しました。
久しぶりに3人揃った生中継には大感動でしたが、中継したVGTVがすぐに録画の再放送をしてくれた上、(予想通り)YouTubeにも早速アップされて本当に嬉しいです。

11月6日付Aftenpostenの記事を、a-ha.comが抜粋を英訳してくれました。

もう地球で孤立した存在ではないノルウェーで、a-haは歴史の一部だ。1984年の秋、初めてTVに現れたa-haがどれほど望み薄だったか覚えている人は、今ではほとんどいない。大胆にもノルウェーを出てやっていこうと夢や野望を語る3人の若者を、大半の人が笑っていた。だからTake On Meがビルボードで1位になった時は、ただ自慢するだけのことではなく、ノルウェーの歴史の節目だった。a-haは不可能を可能にした。オスロ郊外から火星へ。多くのノルウェー人が自分に代わって成し遂げられた偉業を味わい、3人を誇りに思った。この誇りは年月と共に薄らいだりはしなかった。

音楽については、この芸術作品をどう扱ったか。音楽そのもの、音楽の力、どう人を変え、奥深く入り込み、個性を形成し、社会的なつながりを築き、私達を陶酔させるか。

地球上どこに行っても、カフェや車、どこかの家で突然a-haが聞こえてバンコクでマグネ・フルホルメンの名前をつぶやくとお茶に呼ばれたり、ブエノス・アイレスでモートン・ハルケットの話をするとタクシードライバーがメーターを止めたり、ニューヨークでワークター・サヴォイの曲、Velvetについて話し合うと生涯の友になれたりする。

a-haが手にできる最高の栄誉はSt. Olavの勲章ではなく、人々が彼らのアルバムを聴き続けること、新しいものを創り出そうと夢見ること、バンドの野望と音楽の両面にインスピレーションを与えられることだ。
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a-haが正当に評価されないことは多くのファンが感じていたと思いますが、今までの苦労も成功も見続けてきたファンなら3人が勲章に値することはよく分かっているだろうし、私はこの笑顔が何よりも嬉しいです。



2012年10月21日

ファン投票 - 007

インターネット投票があちこちで行われる中、a-haやメンバーが選択肢に入ったランキングがあるとファン同士でリンクを共有することも増えてきました。
世界最高のボーカリスト(モートン)、80年代のヒット曲(Take on Me)、Duran Duranとa-haのヒット曲を並べた対決・・・たいていは決着が付いてしばらくするとリンクが消えているのですが、延々と続いていつ終わるのか分からなかったり、そういえばあれはどうなったんだろうと思い出したらリンクが見つからなかったりするので、ちょっとメモっておこうと思います。

映画007シリーズの最新作(スカイフォール、テーマ曲はアデル)がもうじき公開されることから、今は歴代最高のテーマ曲について投票が行われています。
http://mashable.com/2012/10/02/adele-james-bond-theme-song-leaks-skyfall/

現在のトップは1987年のa-haですが、締切がいつなのかはよく分かりません。


ライブの動画を見ていたら、いつの間にか1991年のパフォーマンスがきれいな画質でアップされていました。有料観客動員数でギネス記録になったロック・イン・リオですが、ファイナルではしなくなっていた007のテーマ曲(間奏中のギター)も入っていて懐かしかったです。


ギネスに載った記録は198,000人だとか。ちなみにサラ・ブライトマンのサン・パウロでのコンサート観客動員数が1晩で12万人だったそうですから、さらに数万人規模のスタジアム1回分は多かったということですね。(※12万人というのは2010年YouTubeにアップされていたビデオ・バイオグラフィーの5:40でもコメントされています。)
余談ですが、世界最高のボーカリスト投票では上位に2人の名前があり、中には2人のデュエット希望!というコメントもありました。サラ・ブライトマンは歌ってみないと声の相性は分からないと話していたことがありますが、何となく聴いてみたいような気もします。

モートンがソロでも南米ツアーを外さないのは今でもファンの支持が強いからでしょう。
(環境やノルウェーとの貿易関係でのつながりもあるような気はしますが)
南米や南米ツアーに参加したファンの話によると、向こうではファン同士の情報共有が非常に活発で、他の国から参加したファンにもどこに行けばメンバーに会えるといった話をどんどんしてくれたそうです。
その点日本は閉鎖的な部分があるので、ちょっと残念です。


2012年11月4日:追記
時々投票して結果を見ているのですが、一時は3位になったLiving Daylightsが何とか2位に再浮上してきました。
現在のトップはポール・マッカートニー(Live and Let Die = 邦題:死ぬのは奴らだ)。ガンズ・アンド・ローゼズのカバーを聞く方が多かったけど、それだけ多くの人がどこかで聞いたことがある曲なのかもしれません。

2012年11月24日:追記
その後もa-haは票を伸ばし続け、叙勲式後に注目度もアップしたのか今週トップに返り咲きました。今は少しずつ差を広げているようです。

2012年10月8日

9月14・15日のコンサート

モートンのバースデー・コンサートと翌日の追加公演については、YouTubeのa-haオフィシャルチャンネルでファンの動画をまとめてくれた。
9月14日9月15日のパフォーマンスが順番通りに並んでいて(すべて再生)をクリックすると(所々欠けてはいるものの)最初から最後までライブを見られるのですが、9月15日のLightningが抜けていました。

オスロ公演2日間のセットリスト

 Burn Money Burn
 I’m The One
 Keep The Sun Away
 Crying In The Rain
 Out Of Blue Comes Green
 Move To Memphis
 Los Angeles
 Wild Seed
 Lightning
 When I Reached The Moon
 We’re Looking For The Whales
 Movies
 Foot Of The Mountain
(アンコール1)
 Send Me An Angel
 Stay On These Roads
 Spanish Steps
(アンコール2)
 Lay Me Down Tonight
 A Kind Of Christmas Card


オスロ公演なので途中のトークはノルウェー語になるかも、と思っていたのですが、“英語の方がノルウェー人にとっても賢明らしい”と最初に断り、ずっと英語で通しました。
過去のライブ映像を見る限りノルウェーでパフォーマンスした時はほとんどノルウェー語を話していて、海外のファンも集まると分かっていればノルウェー語と英語の2カ国語トークになりました(Ending on a high note最後のオスロ公演も12月3日まではノルウェー語も話していましたが、最後の12月4日はいろんな国から集まったイベントだからとマグスが英語だけで話すと断って、ノルウェー語は使いませんでした)が、今回は2日とも英語だけ。多くのノルウェー人からも英語の方が分かりやすいと手紙で言われているようなので、これからはどこのコンサートに行っても基本的には英語になりそうです。

14日はドイツのファンがHAPPY BIRTHDAY MORTEN!とプリントアウトした紙を大量に用意していて、事前のお知らせで先にプリントアウトしていた人も含め、かなりのファンが一斉にメッセージを掲げてHappy Birthdayを歌った。予定では最後の曲の後でしたが最初のアンコール中に出し始めた人が多く、まだ早いと思っていた人もあわてて出した状態。声もちょっと揃わない部分があり、まだパフォーマンスの続きがあったモートンは少々落ち着かない様子だったものの、笑顔でファンの気持ちを受け止めてくれた感じでした。

この日は4月~5月にかけてのツアーとはセットリストを少し変えていたので、アンコールの最後が何になるのか誰にも分からず、最初のソロアルバム1曲目のA Kind of Christmas Cardで終わった時は大歓声でした。
それだけでも十分盛り上がったのですが、モートンがこれで終わりと思ったところでギタリストのダンがスティービー・ワンダーのハッピーバースデイを歌い出してさらに盛り上がり、前座で歌ったMartin Hallaが途中から加わって歌うとまたさらに盛り上がりました。



この日は座席指定の2階がモートン関係のプライベートエリアになっていたそうですが、マグスがいたかどうかは不明です。(モートンの家族を見たという話は複数の人から聞きましたが、マグスの目撃談はありませんでした。)

オスロでの2日間はモートンの前にマーティンがEPでリリースした曲を歌っていたのですが、残念ながらDragonflyはしませんでした。もともとマグスの曲ではあるものの、結成30周年のイベントに集まったa-haファンの前なので遠慮したのかもしれません。
みんなモートンを待ってるのは分かってる、と緊張気味にステージに立ったマーティンですが、生で聴く声はThe Voiceのネット中継をかなり上回っていて、マグスがモートン並みと評したのも分かるような気がしました。
少ないですがYouTubeでもいくつか動画がアップされ、中には14日のパフォーマンスに驚いて15日に撮影した、というコメントもありました。

15日のステージ、モートンは最初からとても楽しそうだったけど、最初のアンコールを締めくくるSpanish Steps に入ると様子が変わった。弾いているギターの音が聞こえなかったのか、歌い出しの前から舞台袖にいる技術スタッフと何度もジェスチャーでやり取り。この曲はギターを弾きながら歌うので、その音が聞こえないと歌うタイミングが合わせられないのかもしれません。
バックの3人は演奏を続けているので何とか歌ってはいたものの、首を振って険しい表情も見せた。そのうちオーディエンスに手伝ってほしいと呼びかけたものの、歌い慣れたa-haではないのでちょっと自信なさそうに見えた。
実際にはこの曲を好きなファンはかなり多く、モートンが機材トラブルに気を取られている間も会場ではみんな歌っていた。本人が歌うのを諦めたと分かったとたん、その声は一気にボリュームアップ。これにはモートンもかなり嬉しかったようで、笑顔でマイクを客席側に向けた。
この曲の終盤にはトラブルも解消したのかモートンはギターに専念し、終わるともう一度同じ曲を、今度は歌うだけ、と言い出した。もちろん会場は大歓声。普段はこういうことしないんだけど、とエリックに合図を送り、さっきと同じイントロが始まった。
今度はモートンもちゃんと聞こえていたようで、最初のギターで何度かスタッフとやり取りし、OKのサインを出していた。
この時のパフォーマンスも1回目を撮ったファンがしっかり動画撮影してくれていて、a-haのオフィシャルチャンネルにも2回続けて再生できるよう入れてくれた。

この後一度ステージを離れ、14日と同じように2回目のアンコールに入ったものの、前日は会場にも見せていた歌詞カードは最初から床に置いてあったようです。結局歌詞を忘れて拾い上げたのですが、a-haで長く活動していた時もよく歌詞を忘れていたので多くのファンはそれも楽しんでいた感じで、会場はリラックスしていました。

今回a-ha結成30周年のバースデーコンサート、今まで見たことがないほど楽しそうだった15日の追加公演に立ち会えたことは、私にとって大きな区切りになりました。
ファイナル公演が終わった2010年12月4日でa-haの最後を受け入れてはいたものの、YouTubeやネット中継で見たモートンのステージはどこか心細く見え、どうしてもa-haに気持ちが戻っていた。ところがこの2日間は明らかにモートン率いる新しいバンドとしてまとまり、パフォーマンスにも強さが加わったように思えます。
15日はドラムをたたいた勢いでスティックを折っていたカール。ステージでは控えめだけどしっかりサポートしてくれるエリック。唯一新しいメンバーでありながらバンドにとけ込み、ギター、キーボード、iPadを操っていたダン。自信を持ってリードするようになった様子のモートンは明らかにa-haとは違い、これならもう大丈夫だと思えるようになりました。
あくまでも個人的な感想ですが、今までa-haとしてもソロとしても積み重ねてきたキャリアを引き継ぎながら新しい世界を作ってくれそうなモートン、これからの活動も本当に楽しみにしています。

2012年9月29日

Q&A追記

9月13~16日のイベントについてですが、後で時々思い出すことがあるので追記しています。
今日は会場とボーナストラックについて書き加えました。
気付いたらイベントの書き込みから急にアクセスが増えていたので、また大きな変更があればお知らせします。

2012年9月22日

9月13~16日のイベント

a-ha.comが先週末のイベント詳細スケジュールを発表したのは9月11日。
最終決定として一度発表したものの、一部に記載ミスがあったことから翌日修正されました。
PDFのダウンロードはオスロに移動していたため(ホテルのフロントに依頼すればできたものの)印刷しませんでしたが、a-ha関連のイベント会場ではあちこちで知り合った顔見知りが頻繁に顔を合わせ、たいてい誰かが持っていたのでお互いスケジュールを確認することができました。

最終スケジュール(a-ha.com発表)

9月13日(木)
Time
Event
1100 – 1900
I Wish This Was A Song (incl. Apparatjik installation)
Museum of Contemporary Art – Bankplassen 4, Oslo
1200 – 1700
Stian Andersen: a-ha – The Photographs
Stolper + Friends Gallery – Tjuvholmen Alle 6, Oslo

9月14日(金)
Time
Event
0900 – 2300
From Bridges to Butterfly: Three decades of a-ha
The National Library of Norway
Henrik Ibsens gate 110, Solli plass, Oslo
1000 – 1900
Moods of Norway
20% Discount if you mention ‘a-ha’ at checkout
Stores located at Hegdehaugsveien 34 and Akersgata 18
1100 – 1700
I Wish This Was A Song (incl. Apparatjik installation)
Museum of Contemporary Art – Bankplassen 4, Oslo
1200 – 1700
Stian Andersen: a-ha – The Photographs

Stolper + Friends Gallery – Tjuvholmen Alle 6, Oslo
Taking Place at Sentrum Scene:
1400 – 1800
Book distribution for pre-orders placed before Sept 1
Books available to purchase from Press
Book signing with Stian Andersen
Wristband distribution for 30th anniversary events
1930
Doors open for those with wristbands
2000
Doors open for the public
2030
Martin Halla on stage
2130
Morten Harket on stage
2315
Morten’s concert ends (approximately)
2400 – 0300
a-ha 30th anniversary party

9月15日(土)
Time
Event
0900 – 1700
From Bridges to Butterfly: Three decades of a-ha
The National Library of Norway
Henrik Ibsens gate 110, Solli plass, Oslo
1000 – 1700
Stian Andersen: a-ha – The Photographs
Special opening hours – Stolper + Friends Gallery
Tjuvholmen Alle 6, Oslo
1000 – 1700
Moods of Norway
20% Discount if you mention ‘a-ha’ at checkout
Stores located at Hegdehaugsveien 34 and Akersgata 18
1200 – 1700
I Wish This Was A Song (incl. Apparatjik installation)
Museum of Contemporary Art – Bankplassen 4, Oslo
Taking Place at Sentrum Scene:
1100
Doors open for a-ha fan convention
1200 – 1400
Q&A with guest speakers:
Erik Ljunggren and Dan Sunhordvik -
backing musicians for a-ha, Morten and Magne
James Maillardet -
production manager for a-ha and Morten
Taking Place at Oslo Bokfestival – ‘Spikersuppa’:
1545 – 1615
Q&A with Morten Harket and Stian Andersen
1615
Book signing with Stian Andersen
Taking Place at Sentrum Scene:
2000
Doors open for the public
2030
Martin Halla on stage
2130
Morten Harket on stage

9月16日(日)
Time
Event
1000 – 1700
Stian Andersen: a-ha – The Photographs
Special opening hours – Stolper + Friends Gallery
Tjuvholmen Alle 6, 0252 Oslo
1200 – 1700
I Wish This Was A Song (incl. Apparatjik installation)
Museum of Contemporary Art – Bankplassen 4, Oslo
1300 – 1600
From Bridges to Butterfly: Three decades of a-ha
The National Library of Norway
Henrik Ibsens gate 110, Solli plass, Oslo

コンサートについてはYouTubeにたくさん動画がアップされていますが、ステージだけでもいろんなことがあったので後でまとめようと思います。

現代美術館の外には9月14日からと書かれた垂れ幕がありましたが、13日には挨拶やワインパーティーなどのイベントが行われ、非常に賑やかでした。
Apparatjikの部屋は2階の片隅にあり、ほとんどの人の感想は“Interesting”だったようです。ただ現代アートということでそれぞれに個性的な展示が並んでいましたが、Apparatjikの部屋だけはスピーカーの数や配置を変えてあったのか、音の広がりがまったく違い、音楽ではないのですが何となく心地良かったです。

この展示についてはa-ha.comで写真が紹介されています。


面白かったのがその隣の広い空間を使っていたアーティスト名がPhil Collinsだったこと。
(大きな部屋を3つに区切って映像を流しているのですが、フィルは全く登場しなかったようです。60分の作品を通して見られるほど時間はありませんでした。)
ちょっと話はそれますが、日本ではちょうど9月14日に公開された映画(白雪姫と鏡の女王)で白雪姫を演じているのはリリー・コリンズ、お父さんはフィル・コリンズです。ノルウェー語版で白雪姫の吹き替えを担当したのはTomine Harket、お父さんはモートンで、モートン自身も王様の声を吹き替えています。

Stolper + Friendsでの写真展は、この写真集から19枚をピックアップして展示されています。23日まで開催中で、8月30日夜に行われたオープニングにはマグスとスティアンも出席していました。


写真集は以前出版されたものより大きめで、ハードカバーにケースも付いて1冊2.7Kgもありました。日本やアメリカは送料が高いことから複数購入した人もちょくちょく見かけましたが、あまりの重さに持ち帰るのを諦め、オスロの郵便局から送った人もいました。
スティアンはとても気さくな人で、後ろで子供を遊ばせながらサイン会をしていました。

Q&Aではいろんな話が出ていました。
(確かマイクはNGだったと思うので少ないですが、他にもいくつか動画がアップされています)

  • モートンは次のアルバムを出すことを考えていて、今年のツアーはあと9月22~30日の南米のみになりそう。
  • ポールは2枚ぐらいアルバムを出す用意がある。
  • マグスもソロアルバムを出しそう。
  • a-haのファイナルコンサートDVD(Ending On A High Note)にThe Bandstandが入らなかったのは、何らかの技術トラブルかバックステージとの連携がうまくいかなかったことによるもの。Bowling Greenは明らかなトラブルだったけど、The Bandstandについては見えない部分で何かあったらしく、バックステージに次のパフォーマンスが何かきちんと伝わっていなかったようなことを、エリックが話していました。
  • 日本や北米での活動についても話していましたが、現在ドイツのユニバーサルと契約していることから他国でのプロモーションは全てドイツ経由になり、いろいろ制約があるそうです。今回のモートンのソロ活動でもプロモーターがa-haの名前を前面に出し、本人が歌わないつもりでいた曲名を含めてずらっと列記したポスターを作ってきたりして、モートン側としてはかなり頑張って the voice of a-ha に落ち着かせたようです。ハラルド個人としては日本に行きたいと言っていました。
  • KENTの曲(Burn Money Burn)を入れたのは、マネージャーがKENTのファンだったから。最初は“なんで?”とモートンに何度も聞かれたそうです。結局モートン自身も気に入って自分で英訳し、自分の歌として取り込んだ形になりました。
  • コンサートの後、出待ちに対応してくれる時としない時があるのはモートンのコンディション次第のようです。ハラルドが見る限り、モートンはファンと会うのが好きだしかなりの確立でファンのいる所に出ているけれど、風邪を引いたり喉の調子が悪かったりすると難しいと話していました。
  • ツアー中のセットリストは基本的に変えない。バックで演奏している側にも次の曲への準備が必要で、途中で変えると楽器の持ち替えや調整が追いつかないそうです。特にダンはギターもキーボードも担当するので難しそうです。
  • 技術的に演奏しやすいのはStay on these roadsやA kind of Chirstmas card。Los Angelesは特にダンが忙しい曲で、確かエリックはOut of blue comes greenが大変だと話していたと思います。
  • 過去のコンサートで一番すごかった(?)会場はソロで行ったサーカスのテントだった。質問は一番良かった会場、悪かった会場はどこか、という内容でしたが、これを最悪と呼ぶべきかどうか。最初に会場を見に行ったハラルドは何とか変更できないか交渉したようですが、そこしかないということで決行されたそうです。一応しっかりした客席もあるテントだったものの、“これはモートンに言えない!”と直前まで何とか曖昧にごまかしていたそうです。いよいよ会場を見せた時はヒヤヒヤしていたようですが、モートンも舞台裏の動物達もけっこう気に入っていたようで、アンコールのTake on Meでは裏でライオンが吠えていたとか・・・ちなみに最高の会場としてはロイヤル・アルバート・ホールの名前が挙がっていました。
  • ドイツのみボーナストラックでリリースされたUndecidedがアルバム(Out of My Hands)に収録されなかったのは、アルバム全体が1つの作品だから。Undecided単独の評価が高くても、10曲で完成されたアルバムに付け足すとバランスが崩れると考えたようです。

ブックフェスティバルは毎年9月に行われるノルウェー最大の本と読書のイベントで、複数の会場で様々な本の著者や関係者が朗読をしたり背景について話したりしていました。
a-haを撮り続けて今回写真集を出版したスティアンとモートンは、2010年12月1日にa-ha最後のサイン会を行った本屋さんに近いステージで30分弱のインタビューを行いました。
この時の写真とYouTubeにアップされた動画はa-ha.comのニュースでも紹介されています。

国立図書館でのa-ha展は大幅に規模を縮小したものの、以前とは違うものも展示され、音源や映像は1人ずつ座ってゆっくり鑑賞できるようになっていました。

ファンパーティーやQ&A(コンベンション)では通常のチケットやリストバンド以外にも20クローネで購入するチケットがあり、普段のモートンをよく知っているファン達がモートンの名前で赤十字に寄付するためにお金を集めていました。
パーティーはたまにモートンのソロ曲がかかり、人によってはa-ha30周年だからa-haだけにしてほしかったと言っていましたが、3amまで映像と音楽にひたれて楽しかったです。

2012年9月10日

モートンGreen Music Award受賞、a-ha勲一等

音楽業界で特に環境への関わりが深いことから、モートンがドイツのGreen Music Awardを受賞した。
エネルギー、航空、コミュニケーション、ライフスタイル、移動手段、ジュニア、音楽と7つのカテゴリーで審査するClean Tech Media Awardは9月7日に授賞式が行われ、ビジネスや文化に関係する1,000人以上のゲストが招待された中、専門家の枠を越えて注目を集めるセレブが花を添えました。

モートンの受賞が発表されたのは8月23日で、次のように紹介されていました。

電気自動車、再生可能エネルギー、熱帯雨林の保護、自然に親しんだライフスタイルに長く関わってきたことが評価されました。モートンは25年に渡って環境団体ベローナに関わり、現在の総裁であるFrederic Haugeと共に母国ノルウェーに初めての電気自動車、フィアット・パンダを導入した。

80年代、モートンは最初の活動の1つとして電気自動車を広めた。“良いことをして、それについて話す”というモットーは、彼を変わった人だと印象づけた。環境保護や数多くの社会活動に関わり、環境への際立った取り組みが評価されて、9月7日にベルリンのClean Tech Media Awardの新しい音楽部門、Green Music Awardを受賞する。

モートン: 公人として環境問題へ着目する機会があり、たぶんそれが環境への意識を高めることになったんだろう。この長い旅に対するGreen Music Awardの受賞は非常に名誉なことだと思う。

Clean Tech Media Award創始者のMarco Voigtは、音楽業界は多くの人に環境を意識させる膨大な可能性を持っている。ミュージシャンは行動で流れを作り、ロールモデルにもなることもできる。彼の音楽を通してファンは環境問題を感性で敏感に感じ取れるようになり、より関わりを持つようになる、と説明します。
a-haのメンバーとしてもソロアーティストとしても長年チャートを制覇し、世界的にファンの心をつかみながら、環境に優しい姿勢を備えています。

The Clean Tech Media Awardはカテゴリーごとにスポンサーが付き、音楽部門はJacob Bilabelが創設したヨーロッパのプロダクション、Green Music Initiativeが務めています。環境への負荷を減らすというコンセプトから、MELT!のようなメジャーなフェスティバルを育て、プロダクションのあらゆる分野でCO2の削減を目指しています。
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Green Music Initiativeは今回の賞について9月3日にウェブサイトで発表し、ノルウェー初の電気自動車の写真を掲載しています。写真には1993年と書かれていますが、2010年にカーマガジン388号に掲載されたインタビュー記事の通り、実際には1989年。おまけにマグスも写っているのに今回の賞とは関係ないので名前もありません。
モートンが正当評価されたことは嬉しいのですが、ちょっと残念でした・・・


今回の受賞理由は、“モートンの電気自動車や再生可能エネルギーへの熱心な取り組みは環境保護やクリーンエネルギーの重要性を示している。またライフスタイルに取り込む姿勢を貫き、環境に優しいアイデアを伝える大きな役割を果たしている。”ことだそうです。

授賞式当日の記事にはグリーン・カーペットで(?)サインに応じている写真も掲載されていました。


a-ha結成30周年の記念日コンサートはちょうどこの1週間後。
前日にはa-haの3人それぞれにノルウェー王室から勲章(日本では勲一等の文化勲章、イギリスではナイトの称号に当たるようです)が授与されると発表され、母国では音楽面での貢献も高く評価されています。
http://www.musicexportnorway.no/a-ha-receives-prestigious-award.5087027-149133.html
この叙勲についてはセレモニーが11月6日に行われるということなので、久しぶりに3人揃ってメディアに登場しそうです。

2012年9月2日

マグス&スーパーヨット

7月終わり頃、マグスのデザインしたスーパーヨットの帆がお披露目されました。

http://www.boatinternational.com/2012/07/31/unique-sail-art-for-66m-vitters-yacht-aglaia/
http://www.superyachtdesign.com/features.asp?fid=1304


遠景だと分かりにくいけど、実際に人が乗るとかなり大きいのが分かります。


海と空の青にオレンジが映えて、晴れた日は特に目を引きそう。



Magne Furuholmenはa-haのキーボードプレイヤー、アートディレクターとして80年代にキャリアをスタートさせました。長年多くの作品を作り出してきましたが、66mのスループ、Aglaiaの1,787㎡もあるCode 1セイル(※専門店のセイルタイプを参照)は、今までで技術的に一番やりがいのあるプロジェクトでした。

ヨットのオーナーは、数年前にノルウェーでマグネの作品展を見てからアーティストを紹介されました。もとは2007年ノーベル平和賞の依頼だったClimax Orangeコレクションの半分、8作品はメインサロン等の主要エリアやキャビンを飾りました。

マグネ: 船のために作品の一部を買いたいという話だった。その船は見たことがないけど、シリーズを損ないたくない、1つの作品として一緒にしておきたいと説明した。

ところが作品を額に納めると、オーナーはさらに過去最大の作品を依頼した。

マグネ: オーナーはシリーズを船のDNAに根付かせたいと、船の帆に何か作ってみないか聞いてきたんだ。

ヨットは初めてだったが、以前に巨大クルーズ船で14階のガラス階段を手がけたことがあるので、マリン市場は初めてではない。

マグネ: とはいえ、Aglaiaは完全に違ったプロジェクトだった。クルーズ船はアートやデザインがいっぱいで、完全に感覚を爆発させて良かった。Aglaiaは素晴らしいデザインで全てが完成され、完璧な状態から始めてめちゃくちゃにするようだった

45mのモーターヨット、Aslec 4のオーナーが家族のクリスチャン・ネームの頭文字からヨットの名前を付けることから、マグネはギリシャ神話の美の神アグライアを示す辞書の意味から文字をピックアップし、さらにオーナーや子供達からもアルファベットを入れてゆったりと家族につながるよう独自のテイストを加えた。

マグネ: 物事にいろいろな角度からアプローチしたり、言語や言葉、その意味、文章の抽象的な意味なんかに取り組むのが好きなんだ。

実際に取り付けられると全く違う形になり、キロ単位の遠方からでもインパクトのあるビジュアルを目指すことが芸術的な挑戦でした。使っているうちにすり切れたり破れたり、強い風を受けたり海水の波しぶきにさらされたり、実用面での課題もありました。
これほど大きなカスタムメイドの帆を作り上げる技術も初めてでしたが、紙に描かれたデザインを帆に写す作業をすぐにマスターし、経験豊富なチーム、特に帆へのペインティングではスペシャリストであるパルマのPatrick Molony Harrisの支援を受けてデザインを完璧なものへと仕上げていきました。

マグネ: スタジオで30~25分の1のモデルから始めた。それから10分の1のテスト用セイルを作って冬の間パルマで使って機能をチェックした。いくつか修正版を作り、やっと模型からCode 1セイルに転写したんだ。最初は特大モップとペンキを持って巨大な帆に張り巡らされたハーネスに自分がぶら下がる姿を想像していたけど、非常にコントロールされた環境のステージでのペイントだった。きちんと乾かして海に出られる十分な強度を確保する必要があったからね。

NASAのために開発されたキューベン・ファイバー(Cuben Fibre日本の専門サイトにも載っていました)製のセイル、Code 1は過酷なレース用ヨットに使われる特殊な乳剤を使ってペイントされました。オレンジの部分を同じキューベン・ファイバーで作る案もありましたが、これは高くなりすぎると判断されました。

マグネ: オレンジの四角い部分はポスト・イットのメモで作った最初の模型からそのまま持って来たから、きっと世界一大きなポスト・イットだろうね。オレンジはいつも船の一部だった。オーナーが買ったシリーズに入っていたとても強い色だから。それに船はオランダのものだし、国のカラーであるオレンジが入るのは気に入ると思うよ。

完成した作品はオーナーに気に入られ、マグネも達成感があったようですが、他にも2つ船のオファーがあったけど断った。最初に依頼した人より特別さを下げるのは嫌だった。このプロジェクトは本当に自分だけのもの、と言える基準を押し上げてしまったからよく考えることになった。それに新しいキャリアを求めているわけじゃないから。
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訳しながらいろいろなサイトを見ていたら、YouTubeにこんな動画がありました。


1,800㎡なのでほぼマグスの“作品”と同じサイズ。
半端じゃない大きさですね!

マグスが船に関わった“前作”は、ノルウェーの沿岸急行船のことだと思います。
モートンが進水式に立ち会って、船の中は“マグネの作品だらけだった”と言っていた Ms Midnatsol は、マグスの作品があちこちにあるそうです。
Hurtigrutenのウェブサイトでは、船の中の様子も見られるようになっています。
http://www.hurtigruten.com/schedule/ships/hurtigrutens-ships/ms-midnatsol/?tab=onboard
360度ぐるっと回転して船内を見せてくれて、マウスでスピードや角度を変えられるようにもなっていますが、スピードアップして同じ方向にぐるぐる回っていると船酔いしたように気分が悪くなることがあります。ご注意を!

2012年8月19日

The Voice - その後

マグスは来シーズンのThe Voice参加を打診されたものの、まだ新しい才能に向き合える状態ではないと断ったそうです。

8月10日付Dagbladet(KJENDIS = セレブ)の内容

新しいオーディション番組、The Voiceは昨シーズンのIdolより評価が高かったものの、来年はIdolに変わります。
Magne Furuholmenは新シーズンの審査員として参加できないか打診されましたが断りました。
今年の参加者が音楽業界に踏み出すサポートをするという約束を果たす前に、新しい才能に向き合うことはないでしょう。

 - (今シーズンの審査の過程で)約束を守るという信念を持って取り組んだ。最善の形で音楽の道に進めるようサポートする。
 - 本気で挑戦する前に次のシーズンをやるのは受け入れ難い。やり残したまま新しいことに取り組んだりしない。

Sondre Lercheも新シーズンの審査員はしたくないという意思を示し、Yosef Wolde-MariamHanne Sørvaagの2人は可能性を排除してはいなかったようです。
TV 2では2人の審査員に断られたからではなく、世界的に成功した形があり、ノルウェーでも多くのアーティストを生み出している上、来年はIdolの10周年に当たるなど、いろいろな理由があって決定したそうです。

いろんなことで忙しいマグスだけど、どれも中途半端に終わらせない所が彼らしいなと思います。

昨シーズンのノルウェー版IdolはYouTubeでもいくつか見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=tfkFYzRfDzw&feature=BFa&list=PLC83E670298B56BA5

やはりa-haの曲も人気ですが、ちょっと???なタイトルもありました。

もちろんTVではちゃんと“HUNTING HIGH AND LOW”になっていますから、a-haをよく知らない人がアップしてそのままになってしまったのでしょう。

The Voiceはメンター(審査員)の負担がかなり大きそうだし、毎年続けるのは難しいだろうけど、The Voiceでも他の機会でも、またマグスが見慣れた様子でキーボードを弾く姿を見られるといいなと思います。

2012年8月18日

Roskilde Festival


7月5日、デンマークのRoskilde FestivalでApparatjikのパフォーマンスがあった。
前に募集していた写真はこのためだったのかと、動画を見て納得しました。

動画の方はRoskilde Festivalのサイトで見られますが、これは大人向けだろうと思われる演出もあるので子供が近くにいる場合はとりあえず1曲だけ見てストップした方が良さそうです。
動画ページは他のパフォーマンスが最初に表示されますが、上から3番目のOrange StageをクリックするとApparatjikを見られます。

最初は全員筋肉スーツで登場。
マスクはメンバーの中で一番知名度の低いMartinだそうです。


マグス(科学者が“神の粒子”を見つけた翌日): 今夜のコンサートはヒッグス粒子のお祝い。時間や空間を越えて操作するんだ。Roskildeに来る前からこうなると分かっていたよ。
4人のミュージシャンは今までに知られた形とは完全に違うことをしようと決めていた。
a-haのMagne Furuholmen、Mew(デンマーク)のJonas Bjerre、ColdplayのGuy Berryman、ノルウェーではThe Voiceでマグスのパートナーだったことでも知られるプロデューサー(スウェーデン)のMartin Terefeと、それぞれ有名な4人のスーパーグループ。
Roskildeのステージを控えたApparatjikを直撃。BerrymanはColdplayと別の世界にいて、Martin Terefeには誰もインタビューを申し出なかったので、FuruholmenとBjerreはTerefeに変装し、マスクをかぶったまま話した。

2人: 自分達の名声を探るのは面白い。Martinは知名度が一番低かったので、ステージではみんな彼になることにした。Roskildeの群衆を誰だか知られずに通り抜けるのは社会的慣習だと思うよ。
 - 今までずっと属していた業界への挑戦?
Bjerre: 自分達のやり方でやるショーだと思う。
Furuholmen: 僕達は世界の指示に従って生きてきたけど、手綱を離したらどうなるか見てみたいんだ。
 - だから実験に広いスペースが必要。いつも僕達に新しいことを教えてくれる。音楽ビジネスに挑戦しているわけじゃなく、自分達への挑戦だよ。音楽業界は制約が多すぎる。機械に小石を投げて、どうなるか見てみたんだ。
 - 誰かの意見をバカにするのも自由。他人の期待を壊す意味じゃなく、自分達の期待だけが、できることとできないことを知る方法だってこと。
 - 科学者が3分間のラブソングを作ってくれて嬉しいよ。

2012年8月6日

a-haとロンドン

2010年10月、a-haファイナルまで2ヶ月となったロンドンで、ベスト盤アルバム(25日本盤のみファン投票で中身と曲順を決定)のプロモーション(サイン会&ギグ)とロイヤル・アルバート・ホールでのシンフォニーコンサートがありました。

ロンドンは国際的な成功を目指した3人の最初の拠点。YouTubeでマグスがその場所を案内していたので、イベントの合間に地図とバス&地下鉄の路線図をチェックして見てきました。
最初にポールとマグスが住んでいた通り、(マグス1人かポールと2人かはよく分かりませんが)バイトしていたパブ、うまくいかなくて一度ノルウェーに戻り、モートンと3人で戻ってから住んでいたフラット。
2010年に聞いたラジオインタビューの中で、モートンがBBCで“ノルウェーを出た時はまだa-haじゃなかった。イギリスでa-haになった。”と言っていたので、このフラットが正にa-haのスタート地点だったんだと1人で感動していました。
後でa-ha友達のアルバムに同じ風景を見つけ、やっぱりみんな考えることは同じだなと思わず笑ってしまいましたが。

2010年12月4日にオスロで行われたa-ha最後のライブ(日本では輸入盤のみ)でStay On These Roadsの前にマグスも話していました。“27年ほど前、自分達の信じる音楽だけを手に街を離れたノルウェーの若いネズミ3匹のことを、今は容易に思い起こせる。ろくに散髪もしなければファンションセンスも・・・
(ここで頭が薄くなってきたことをよく言われるモートンが“今は散髪なんてしないよ。髪がないもん!”と突っ込んで笑わせてくれましたが、その後に“けどまだここにいるよ。あと1時間ぐらいは。”と言っていたのは寂しかったです・・・会場では聞き取りにくかったですが。)
マグスの言葉は日によって少しずつ違っていたけど、全く違うタイプの3人がとにかく音楽で食べて行くにはロンドンに行くしかない、オーディエンスがいなければ成功できない、という共通の信念を持ってロンドンに渡り、多くのファンに見つけてもらえたことを、いつも感謝していました。

フラットでは1つの電球しか使えず部屋を移るたびに外しては次の部屋に取り付けたり、ヒーターを使えなくてキッチンのオーブンで暖まったり、コインを入れないと電気が使えなくて同じコインを使い回したり、といった苦労話は初期の頃に雑誌で見ていたけど、この番組でモートンが電球の話をしていたので本当にいろいろ大変だったんだと思います。
それでもヒットが出なくて生活できなくなり、スタジオに泊まり込んで誰もいない夜に音楽を作り続けていたそうです。

YouTubeの動画でPart 1の07:08ぐらいからとPart 2の最初を見ると今ならネット検索ですぐ場所が分かるようになっているので、a-haファンにとっては聖地訪問のようなものかもしれません。



2010年の夏、a-haのファイナル以外にもイギリスでのイベントについて発信されましたが、a-ha.comのニュースはトピックが全て日本語になっているわけではないからか、日本人で知っている人は少なかったようです。
The Hut Projectというのは、ロンドンから電車で30分ほどの所にあるハンプトン・コート宮殿の庭に、平均寿命39歳、人口の4割がHIV+、日々の生活自体が大変なアフリカの貧困地域の住居と同じ小屋を建てて寄付を募るというプロジェクトでした。
http://a-ha.com/news/articles/the-hut-project/
a-ha.comのニュースは7月15日付、寄付を呼びかけるツイッターは7月17日に2回発信された。
2010年10月8日のシンフォニーコンサートではa-ha最初のアルバム(hunting high and low)と2枚目(Scoundrel Days)を順番通り全曲演奏したのですが、ロンドンの前に同じスタイルで行われたオスロでのコンサートは、Mercy Shipsという医療援助の必要な所に派遣される病院船の支援活動のために行われました。
a-ha.com日本語ページでThe Hut Projectが紹介されなくて残念でしたし、環境保護や国際問題への取り組みが日本でほとんど紹介されないことで、いつまでもa-haが見た目だけの軽いバンドのように扱われるような気がして寂しいです。
(2010年はhunting high and lowScoundrel Daysに別バージョンや未発表音源を付けたデラックス版が発売されましたが、リリース1週目にビルボードのネット販売チャートトップ40に入ったニュースも日本語にならなかったようです)
ただ日本のロック雑誌にしょっちゅう載っていたデビュー直後の頃はインタビューに環境の話はよく出ていたし、最後の来日でカーマガジン( http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/08/a-ha.html、 http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/10/a-ha_1.html )が話を聞いてくれたのは初期からのファンにとって嬉しいことでした。

・・・このブログを書きながらオリンピックを見ていたら(オリンピックを見ながら思いついたことを書いていたわけですが)、シンクロナイズドスイミングでイギリスのペアがペール・ギュントの曲を使っていました。
どこで何がつながるか分かりませんね。

ついでなのでもう1つ。
ロンドン五輪の開会式でMr.ビーンローワン・アトキンソン)がロンドン・シンフォニーと競演(?)していましたが、a-ha貧乏生活エピソードの“コインを入れないと電気が使えない”という意味をストレートに理解させてくれたのが、実はMr.ビーンでした。
http://www.youtube.com/watch?v=5dgd13bxqE0
ローワン・アトキンソンは今でも大好き(90年代半ば頃は日本でもTV放映があったし、レンタルビデオがVHSの時代はブラックアダーやシン・ブルー・ラインもあって楽しかった)なので、開会式も思いっきり笑わせてもらいました。

2012年8月5日

ペール・ギュント

3月に発表されていたペール・ギュント・フェスティバルが1日開幕し、2日にペール・ギュントの家でマグスとHåvard Vikhagenの作品が公開されました。

マグス最近の画像ページより)

Budstikka.noの記事によると、今回の作品は新しく製作したものではなく、マグスが病院のシーツに描いた作品で、世界的に有名なイプセンのキャラクターを連想させるものだそうです。
マグネ: 絵を選ぶ時、ペール・ギュントのことを考えた。イメージが浮かんで、同時に待ち続けるソルヴェイの姿が浮かんだ。ノルウェー人、特に自分達のような芸術家にはちょっとペールに似た部分がある。批判的だから惹かれやすいんだろうね。

Håvard Vikhagenとの共演は今回が初めて。彼も新しい作品ではなく、ペール・ギュントを連想させる作品を選んだそうです。
Håvard Vikhagen: マグスの作品は(放浪を続けて)落ち着かないイメージ、僕の作品は求め続けた末に得られた安らぎを表している。

2人の作品は8月11日まで展示されています。

a-ha-live.comはもう少し詳しく載せていました。
マグス: いくつものことが同時に起こっている。僕はたくさんのボールでジャグリングしていると、もっとボールを増やしたくなるんだ。ペール・ギュントも僕もたくさんの人生経験があり、ずっと何かを経験していたい。だけどいつだって居場所を求めている。
今回の展示には“Futura Plus”の作品も含まれているそうです。
マグス: 僕は音楽的な視点から作品に取り組んでいて、感情が演奏する部分が大きい。自分のアートが歌えるといいんだけど。とにかくHåvardと一緒に取り組めてワクワクするよ。

8月11日まで行われているエキシビションのタイトル、“For jeg er født til kunstner, ser du”(アーティストに生まれたんだから。分かるだろ。)というのはイプセンの引用だそうです。

2012年7月29日

Shapes That Go Together

ファンからの提案でa-ha.comが“今週のビデオ”を発表するようになったのは春頃かだったかな?良い週末を!と、Facebookツイッターで金曜日に紹介されています。

オリンピック開幕にちなんでか、今週のビデオはShapes That Go Together。

リレハンメルパラリンピックのテーマ曲で、長野五輪の前だったことから日本には全くと言っていいほどニュースが入ってきませんでした。
この曲は日本でも普通にシングルがリリースされたけど、ノルウェーのシングルには付いていたパラリンピックのマークはありませんでした。開会式でのパフォーマンスは過去にYouTubeで見たことがあるので探してみたけど、こちらはいつの間にか消えています。

80年代半ばから突っ走ってきたa-haはこの後しばらく休眠状態になり、3人それぞれが違う活動へ。この頃は来日公演もなく、ギャッツビーのCMシリーズも確か93年には終わっていたので、今のようなネットのない時代、2000年の再来日公演までは本当に何も見かけなくなっていただけに寂しかったです。

他にも日本で見られなかった大きなイベントの1つに、2009年の世界陸上ベルリン大会がありました。
ブランデンブルク門でのライブパフォーマンスは日本で全く紹介されず、公式テーマソングだったFoot of The Mountainは(CDにはシールが貼ってあったものの)存在すらなかったような扱いで、日本独自のテーマソングが毎日流れていたのには本当にがっかりでした。
これも他の動画があったような気がするのですが今は見つかりません・・・

Take on Meの方は画質の良い動画がYouTubeで見られます。

ロンドンオリンピック真っ最中の来週は何のビデオをピックアップするのかな、と思いつつ、YouTubeのa-haチャンネルでプロモーションビデオからファン撮影の2010年ライブまでオフィシャルに整理してくれているので、時々好きな動画を見ては楽しんでいます。

日本ではよく不思議に思われますが、海外のライブでカメラをチェックされることは最近ほとんどなく、コンパクトカメラなら普通に撮影できることが多いです。a-haチャンネルはモートンのソロまでまとめてくれているので、Flickr( http://www.flickr.com/groups/a-ha_dotcom/pool/http://www.flickr.com/groups/morten-harket/pool/ )の写真を含め、最初からファンは撮影するもの、という前提でいるようですね。
最近は携帯やスマホもあるのでカメラだけ取り上げても仕方ないのかもしれませんが、セキュリティのための荷物チェックはありますし、さすがにコンパクトを越える大きなカメラは止められることもあるようですので、ダメだと言われたら素直に諦めた方が良いでしょう。トラブルが起これば監視が厳しくなり、後々まで影響する可能性もあります。
これからもオープンに楽しめますように!

2012年7月21日

2011年7月22日

ノルウェーでテロ事件が起き、被害者や遺族、招待者のみを対象に翌月(8月21日)行われた追悼コンサートの会場は、a-haのファイナルコンサートも行われたOslo Spektrum。この日だけa-haが再結成された。
a-ha.com
でも紹介されたし、ネットで生中継されたStay on these roadsを見た人も結構いると思います。
現在NRKのウェブサイト(a-haは01.13.45頃から。リレハンメルオリンピックで賛歌を歌ったシセルが最後)でコンサートをフルで見られるようになっていますが、23日までの限定公開のようです。
a-haの部分はコンサート終了後すぐにアップされ、個人的には痛々しくて繰り返し見ることはないのですが、リンクは貼っておきたいと思います。

この時テロ事件についてはa-haとしてコメントを発表したものの、2001年9月11日に自宅のあるニューヨークにいたポール、最近のインタビューで少し話したモートンはこの時他にコメントを出さず、ギャラリーの準備をしていたマグスだけが心情を明かしました。
マグスは自分の作品で新しいギャラリー(Stolper + friends)をオープンさせる予定でしたが、事件を知って急遽プレス・リリースを発表。当初はクリスマスの時期に予定していた、蝶を題材にしたダミアン・ハーストの“The Souls”に展示を変更しました。

2011年8月6日付VGに掲載されたマグスのコメント内容

感覚を失い、1週間テレビにくぎ付けになって、言葉では表せないほどの悲劇を伝えるニュースを吸い込んでいた。これからのことを考え始めた時、オープニングに予定していた作品は合わないということがはっきりした。
マグス自身の入院経験が出発点となり、彼はアーティストとして病院のシーツをキャンバスに使った。1年がかりで一般的な人の弱さをテーマに作品に取り組み、病院での状況、特に苦痛や無力感の意味をこめた。この状況で誰かを責めるような展示は作りたくない。
Futura Plus(=Future Plus、予定していた展示のタイトル) - この展示を表に出すかどうかは分からない。自分の作品をキャンセルするためにギャラリーをオープンさせるのは皮肉だけど、今はこれが正しいことなんだ。僕にとってはイメージが大切で、作品を見せることは重要じゃない。
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ギャラリーは予定通り2011年9月1日にオープンし、この時出せなかった作品は11月にスウェーデンのUnder stor pressで、他のアーティストの作品と一緒に展示されました。

このギャラリーについてはa-ha-live.comがもう少しマグスのコメントを載せています。

特に自分のギャラリーを始めようとは望んでいなかったけど、(STOLPER+FRIENDS を共同で運営するギャラリー運営者、イギリス人のPaul Stolperとノルウェー人のHugo Opdalの)2人とは何年も一緒にやってきたから、前のギャラリー(Trafo)が去年閉鎖された時に自然とアイデアが出てきた。
最初はクリスマスが近い頃にダミアン・ハーストの新作展示をする予定だったけど、急遽変更でバタバタしてるよ。きれいな蝶は魂の旅と再生の象徴でもあるので(この時期に)非常に合っていて、“The Souls”はPaul Stolperとのコラボレーション。(自分の作品より)ずっと今に関わって適しているよ。
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蝶がきれいだったギャラリーの外観は画像が見つかりませんが、中の展示はこちらで何枚か写真を見られます。

世界で一番大きなホルン

6月24日、ノルウェーでアートフェスティバル(Go With the Flø, 2012)の幕開けを飾ったのはマグスの巨大ホルンだった。
運べるサイズで世界最大ということだけど、とても“Mobile”と呼べるものではない。

当日の記事によると、トラクターと牛(+造船所)の音をミックスさせた大音量に驚いて近くにいた牛が走り出したそうですが、見ていた人達はかなりノンビリした様子。
マグスはホルンの横にしゃがみ込んで演奏(?)し、最後は歩きながら拍手に答えて挨拶していました。
http://vimeo.com/45273308 で、もっとマグスの様子が見られます。
この日は天候にも恵まれ、フェスティバルには2,000人以上が集まったそうです。

a-haの解散以降、一番幅広く忙しいのはマグスですが、不定期なブログではとてもカバーしきれません。
オフィシャルページはメモ用にリンクを貼っておこうと思いますが、更新が少ないのと情報が分散しているので、よくfacebookや a-ha-live.com のお世話になっています。特に最近はファン同士の情報共有が一番早いようなので・・・

マグスのオフィシャルサイト
ツイッター
ギャラリー
Apparatjik

2012年7月15日

Martin Halla、EPリリース

7月2日、Martin HarraがEPをリリースした。
The Voiceのメインホールで歌った曲とマグス(& a-haのアルバムLifelinesで14曲目)のDragonflyを加えた5曲を収録。
ノルウェーのユニバーサルからリリースされましたが、ドイツのアマゾンでもダウンロード版を取り扱っていて試聴もできます。a-ha-live.comによるとレコーディングをしたロンドンで手応えがあったことを、マグスはTVの特別番組で話していたそうです。


The Voiceのハイライトや舞台裏、マーティンとマグネのインタビューを含む、1時間の特別番組。
・ ブラインド・オーディションで(2人のメンターから)マグネを選んだ理由は?
マーティン: 彼が音楽以外に活動していることを考えた。彼は美術の世界で抽象的な作品に取り組んでいて、僕は多くの抽象的な音楽を作ってきたから、その点でつながれると思ったんだ。
・ このコンテストで自信を深められた?
マーティン: すごく良かった。自分のしていることに自信はあるけど、それが認められて、メンターにも(一般の)人達にも受け入れられたことは非常に良い経験だった。

インタビューの終わり頃、マグネが今後について聞かれました。

マグネ: 夏から秋の初旬にかけてアルバムのレコーディングをするよ。もうスタジオで過ごしてEPは録音した。昼も夜も長時間スタジオにいて、僕には長年のライフスタイルだけど、ものすごく刺激に満ちていて、スタジオの中は素晴らしい雰囲気だった。
マーティン: 全くその通りだった。
・ マーティンに対する望みは?
マグネ: 無限だけど、僕が自分を制限できないんだよね。
・ じゃ、世界を相手にする野心がある?
マグネ: うん。最初から言ってることだけど。うまくいかなかったとしても、少なくとも頑張ったと言える。だけどロンドンで彼のことを聞いた人達からたくさん連絡があって、ある程度歌を聴いていた。僕は咬みつくと決めたらピットブルみたいに顎ががっちり動かなくなるんだ。
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ピットブルの話は以前も出てきたけど、そんな粘り強さがあったから今まで頑張ってこられたんでしょうね。a-haはヒットするまでかなり苦労したけど、少なくともマーティンは極貧生活に耐える必要はなさそうです。現在24歳の彼が25年後どうなっているか、これからが楽しみです。

2012年7月9日

4月14日付Aftenposten

6月30日はドイツのサマーフェスティバルにモートンがソロで出演した。
オフィシャルサイトの情報では日本時間の2:20am頃パフォーマンス、3:45am頃にはインタビューの予定だったけど、結局開始は30分近く遅れ、4:30am過ぎまで待ってみたけど残念ながらインタビューはありませんでした。

パフォーマンスの方は思った通りウェブサイトで見られるようになり、YouTubeにもアップされていました。


セットリストは新曲とa-haが5曲ずつ。

Burn money burn
I’m the one
Keep the sun away
Move to Memphis (a-ha)
Forever not yours (a-ha)
Lightning
We’re looking for the whales (a-ha)
Stay on these roads (a-ha)
Scared of heights (ここで時間切れ。ちょっとやりとりして最後の1曲に)
Foot of the mountain (a-ha)

a-haの曲を歌うことについては以前インタビューの中で本人が話していたことがあるので、長いですがついでにそのインタビューもまとめておきます。


4月14日付Aftenpostenのインタビュー

ドイツにいた4日間でどの都市を訪問したか?
- 分からない。
どのラジオ局で話した?
- 覚えてない。
分かっているのは疲れ切っている、ということだけ。プロモーション活動については、首に鎖付けて雇われたようなもの、と言います。
タブロイド紙に必要なもう1枚写真を撮ったら終了。ポールやマグスとはうまくいってないんじゃないか、とか、Take on meを歌う時はどんな気分か、などと聞かれることのない家に帰れる。


ハンブルクの植物園で;
- 作りもののジャングルにいるサルみたいにポーズを取るようなことはしないよ。80年代にやってきたし、自然に見えない。
カメラマンにそう言い、しかめっ面で新聞の背景になる密集した植物を見た。

- こういうのは好きじゃない。気持ちが10年も年を取るように感じるよ。
(中間的な解決策として)植物の間を通り過ぎ、じっと立とうともカメラを見ようともしない。
笑ってくれる?-カメラマン
- 写真撮れば
じゃ、笑って
- 笑わないでって言ってよ。僕は君に言われて歌ったり踊ったりするタイプじゃないんだ。

ハンブルクでの18時間前、彼のマネージャー(Harald Wiik)からハイアットホテルに21:30に来るよう言われていた。部屋番号425に本人がいるのでフロントで呼び出し、何か問題があればマネージャーに連絡する。
(フロントでのやり取り)
 425号室にかけていただけますか
 どなたとお話しされますか
 モートン・ハルケットです
フロントは画面を確認し、その名前の人ではないと言ったのでマネージャーに連絡。
(マネージャー)彼は違う名前で泊まっているけど、絶対その名前は明かさないで。
確認が取れたフロントが部屋を呼び出すと、電話口から聞き慣れた声が応えた。


新しいアルバム、Out of my handsのレビューはどのメディアもあまり良くなかったが、モートンにあまり読んでいる時間はなかった。最初のソロツアーはシベリアを皮切りにロシア、ベラルーシ、ドイツ、スイス、ベルギー、フランス、イギリス。夏が終わればオスロ、ブラジル、アルゼンチン、チリが控えている。どれもa-haが強かった地域で、モートン1人ではどうなるか?インタビューの時間を取ったメディアはどこも1982~2010年のバンド活動があったのが理由。モートンのウェブサイトにはThe voice of a-ha。


マネージャー: 2012年に世間がa-haのいないモートンを受け入れられるかどうかは分からない。反対意見はあるだろうけど、私達はできると思っている。
本人: どこかで始めないといけない。他の2人がいない僕を見るのが難しいことは分かっている。a-haの曲をするとすればポールやマグネと一緒じゃない。自分の曲だけでツアーに出られるか?
数ヶ月後には質問が変わる。a-haのヒットは何曲するか?どの曲をするか?
彼の曲選びの基準は自分の存在、a-haの存在、多くの人の期待を、それぞれ尊重すること。
-曲によっては他の曲より気分良く演奏できる。Stay on These Roadsは曲作りに大きく関わったから楽だけど、Hunting high and lowは初期にポールが作り、自分にとっては3人の力を明確に示したもので、背景には物語もある。みんなで演奏していた時、マグネがものすごくきれいな間奏を作ったんだけど弾いたらそれを忘れちゃったとか、そんなこと。多くの人がこの曲と僕の声を関連づけているけど、(ソロで)すべきかどうかは分からない。
Take on meは?
- それは楽。僕にとってこの曲は他と違う。曲そのものが独立した25年間を生きてきた。

Out of my handsの1つはEspen Lindのヒット曲、Scared of heightsのカバー。スウェーデンのKent(Kärlekens won)を英語バージョンでカバーした曲もある。それでは足りないかのように、Pet Shop Boysから贈られたListening。Pet Shop BoysのWest End Girlsは、1984年にa-haがロンドンに行った頃、あらゆる場所で流れていた。
- Pet Shop Boysの曲はどうしたってレコーディングしたよ。楽しかった。
ノルウェーやスウェーデンの曲をカバーしたり、イギリスから提供を受けたことについて、選択肢が少なすぎたり、もっと個人的なものにしようと苦労したか? - いいスカンジナビアの歌をより幅広いオーディエンスに届けられるかも、さらにa-haではないモートン・ハルケットを受け入れてもらう最初のきっかけになるはず、と話していたそうです。
話を終えたのは真夜中。彼がフリーになるとすぐ女性2人が飛びついてきた。彼は何度かハグをして、それから部屋に戻った。


翌日はメイクアップアーティストのOut Methaに塗ってもらうことからスタート。Methaは80年代半ばにモートンのポスターを貼っていて、“素晴らしい仕事に就けた”と話し、その日はスーツケースを持って彼に付いて回りました。フロントに出ると10~12人の女性がエレベーターの所で待っていて口々にモートンの名前を呼び、サインをもらおうとする人もいたが、そんな時間はなかった。
ラジオ局に向かうミニバスの中で;
- やれる以上やった。何時間も立ってサインもするけど通り過ぎてもトラブルはない。誰でも平等にするよ。要求に対応しきれないことは、自分ではどうしようもないことだと受け入れたんだ。
どこででも気付かれる?
-いつもだよ。見えないことが多いけど、僕は首に目があるからたいてい避けられるんだ。
母国では安らぐと言うアーティストも多いけど、オスロは安らげる?
- どういう意味かによる。みんなが見ている中、1人座っていられるということならYesだね。有名になれば社会から出て、コミュニティはその人を傷つけて違った目で見る。有名になれば代償は大きい。今は違うけど、そういうものだよ。
自ら選んで(a-haだと)すぐ分かる声を持つ見事な看板として参加したa-haは世界を席巻し、次から次へとヒットを飛ばすことができたが、外見とアイデンティティの問題でもあった。ノルウェー人トリオを襲ったのは全く望んでいなかった絶叫する10代の女の子、失神、ハグだったが、現在52歳で典型的な笑いじわがあり、髪の薄さが目に見えるようになってもやはりモートン・ハルケット。どうやってその外見を維持しているのか?教えられない。(特別何かをしているわけではなく)自分で荷物を持って出かけるのが好きで、庭で落ち葉をかき集めれば簡単に筋肉が付くらしい。
運がいいね。
- それだけだよ。インタビューで何度も体のことを聞かれて話さなきゃいけないけど、気恥ずかしいよ。水から出てくる筋肉質の体をアルバムジャケットに使ったのもかなり恥ずかしいだろうけど、女性の非難はない?
- あまり肌(の露出)はないよ。もっと彫刻っぽい形。

ラジオNDR2は毎日200万人以上の人が聞いている。彼が入るのを見ようと女性2人が階段の手すりから身を乗りだし、男性スタッフの1人はサインを求めた。その数分後、収録が始まった。
a-haのもう2人とはどう?(最初の質問)
みんな聞くし、僕達の間にある敬意や愛情を忘れている。彼らは言葉もなくヨーロッパの半分ぐらい駆け抜けられたし頑固で決意も固いが、Hunting high and low,、Scoundrel Days、Manhattan Skyline、Living a boy's adventure tale、Life Lines、締めくくりとなり、ブリティッシュチャートで5位に入ったFoot of the Mountainを作り上げたこととは別に、バンドの不和で、これ以上一緒いるのが耐えられなかったか。3人のうち1人でもa-haを続けたいと思わなかった?1日で山のように質問された中で、モートンはこれだけ答えようとしなかった。
-そんなことに集中されて疲れ切ってるよ。
コンテストに当選した3人とプログラムマネージャーとの写真撮影があり、伝票にするのと同じように写真や本にサインして別のインタビューに移った。

a-haと過ごした最後の夜はどうだったか。モートンは子供達のこと(みんな自分が誰かは知らないけど、何をするか選ぶことで、自分はこういう人間じゃないと分かっている。)、お金のこと(僕は他のものを信頼するよ。リストそのものはいらない。自分を変えてしまうから。)、気候について(世界が嘆いている。文明は崖っぷちに向かっている。)話した。
モートンは“霧の王子”と呼ばれている。パロディーにされ、冷笑との境界にいる。彼は絡み合った長い思考から話すことが多く、聞き手の注意を必要とする。インタビューしているうち、インタビュアーは彼の目に戸惑いながら、Take on me、ポールやマグネ、ソロアルバムの話を聞こうとする。最後にはうまい言い方だとかいい考えだとか言って終わるか、翌日の新聞に哲学的ハルケットと書いたりして、“僕の話聞いてる?大切なことだよ”とでも言っているような52歳は去っていく。


ここに1時間以上のテープがあるが、“霧”ではない。地球がどう今のようになったか、無から今私達が知っているような文明につながる可能性が全くなかったとしたら - 無から何かになったものは1つしか知らない。歌だよ。人は1日に6千億、1秒に1千万の細胞が死ぬと書いたハンガリーの哲学者、アーヴィン・ラズロ(Ervin László)の話を出した時、彼は少年のように熱心だった。極地で氷が溶け、温暖化が進んでいることを心配し、片付ける時間はわずかしかないかもしれないと懸念している。霧?違う。Take on meのように市場性が高いとされているだけ。そうじゃない。


NDR2を出る所でウェブサイト用ビデオインタビュー。 質問:Take on meを演奏する時の気持ちは?答:座って食べる時、どんな気持ち? 質問:歌ってくれる?答:嫌た。命令されて歌うことはない。僕はメルセデスのエンジニアじゃないし、配管工でもない。インタビューされる時は、引き寄せる感じ。相手がするなら歌うし踊る。 
階段で彼がつぶやくのが聞こえた。お願いマイケル・ジャクソン、ムーンウォークはしないで。


ハンブルクで
彼は最低限の付き添いとドイツ中を回った。ユニバーサル・ドイツの広報担当、VIPガード/ドライバー、ノルウェーから同行したのはマネージャーのハラルド(Harald Wiik)のみ。2人は異なる経歴を持つ。ハラルドは以前ドラマーで、1986年、Take on Meが米ビルボードのトップになった翌年にMoney Talksというバンドとロサンゼルスに渡った。モートンとa-haは裕福で有名になり、Money Talksは落ちる一方。1999年にポール・ワークターのバンド、Savoyのマネージャーになり、2005年にはa-haを引き継いだ。ウィンドブレイカー姿、バックパックを担いだ46歳の彼は、アーティストの後ろを付いて行くが、気まずくはない。モートンがエスペン・リンド(Espen Lind)のScared of heightsをレコーディングしたのはハラルドのアイデア。オスロでのコンサートが記念すべきものになると気付いた時、以前のa-haメンバーに電話しまくり、24時間以内に連絡するよう言ったのも彼だった。私(記事の筆者)もそれで自分達も一緒だと返事ができた。

3人とも“Yes”と即答した。

彼はミニバスの後ろに座ってツアー最後のインタビューに向かったBild紙がレーパーバーンでモートンに会うことになっていた。植物園でモートンは花に興味を示した。
どうして花が好きなの?
- 同類だから。
(疑うように)神様を信じてる?
- 君はウサギみたいに飛ぶんだね!まずは話している神がどういう存在なのか一致しないと。この蘭は混ざっていて本来は一緒じゃない。
“サル”のイメージの後、モートンは撮られるのをかなり嫌がった。車のシートに沈み込んで満足し、プレゼントされた真新しいギターと移動。VIPエントランスを入ると、係の女性はギターを機内持ち込みにできることを確認した。


彼は2008年に一緒になったガールフレンドのInez Anderssonと娘のKarmen Poppiが待つ家に帰る。彼には3人の女性との間に5人の子供がいる。ややこしくない?
-何でも関わっているのが誰かによるね。考え方次第。子供達がどういう状態かが問題で、大人の側はコントロールできる。
別れは辛かった?
-楽だったことはない。正しい方法だと思ったから解決に向けて頑張れたけど、関わった誰に対しても同じじゃない。
家族はがっかりだろう。ミュージシャンとしてノルウェーのプレスはインタビューを予定しているし、彼はまたドイツに行く。


(モートンとハラルドの)2人が並んでいた時、ハラルドが言った。“いい空港だね”
- テーゲル?
モートン、ここはハンブルクだよ。ベルリンじゃない。

週末には新曲を抱えてチャーターでシベリアへ。質問への最初の答え:人々はまだモートン・ハルケットを見られるか?
- 自分がなぜモートン・ハルケットでいたか、には理由がある。しばらくは突然新しい自分が出てくることはないだろうし、角を曲がっただけで新しいモートン・ハルケットじゃない。だから当分そのままでいるよ。

2012年6月12日

ロシアでのラジオ・インタビュー


a-ha.comが4月にロシアで放送されたモートンのラジオ・インタビューを公開しました。日付はありませんが、Silver Rain Radioのウェブサイトによると放送日は4月21日。
インタビューをしたVladimir Matetskyはソングライター/ベースプレイヤーで、ロシア人ミュージシャンだけでなく、イギー・ポップアリス・クーパーとも組んだことがあるそうです。同じミュージシャンとしてモートンの気持ちが分かると何度も話し、他のインタビューとはちょっと違った形で聞いてくれました。

ラジオ・インタビューの内容

他のアーティストのコラボについて
以前ノルウェーでヒットしたScared of Heightsはいい曲だと思う。時にはノルウェーの曲を選ぶのもいいし、アレンジも良かった。ハラルドのアイデアだったけど、ノルウェーの曲を国際的に紹介するのもいいと思った。
ただEspen Lindはコラボではなく(カバーのみ)、スウェーデンのKentとは音楽的なコラボレーション。Burn Money Burnはクラシック・ヒットの英語版で、他にも何曲か一緒に作った。
他のノルウェー人とも関わったし、いろんな出会いがあって面白かった。
アルバムを作ると決めて始めたけど、どういう形になるかは分からなかった。コラボレーションを招き入れた感じ。ペット・ショップ・ボーイズも曲を提供してくれて、とても良かった。
別のインタビューで“商業的”と話していたことについて-ノルウェー語ではそういうつもりで答えたわけではなさそうです。
(他のアルバムより)すっと入るポップアルバムという感じで言ったと思う。
Scared of Heightsはノルウェーでは以前流行ったよく知られている曲だから(他の国とは違う)Lightningをリリースしたけど、ちょっと個性的ですぐに受け入れられる曲ではなく、少し時間がかかるかも。
ターゲットは限定していない、世界中の“人”を対象にしている。
ツアーのことを聞かれて
ソロで国際的(広範囲)にツアーするのは初めてだから、楽しみにしている。
今のバンドについて
カールはa-haで2009~2010ずっと一緒にツアーしていた。いいドラマーで疑う余地のない選択。一緒に仕事ができて誇りに思っている。エリックはFoot of the Mountainに大きく関わり、ツアーでも一緒だった。コンピューターとキーボードを担当している。2人はa-haのバックボーンだったから今も一緒にできるのは素晴らしいよ。ギターのダンとは初めて組んだ。

ファンからの質問で、a-haに戻る可能性を聞かれて
今答えるならYes(可能性はない)。よく話し合って決めた結果だから解散した。だけど先のことは分からない。長い時間一緒に過ごしていたから。ただa-haとしては全力で取り組む必要があるし、責任の問題。今は正しい位置にいる。自分の仕事に専念したいし、2人にもそれぞれの仕事がある。
メンバー同士で嫉妬することはない?
ないよ。長く一緒にいて、素晴らしいオーディエンスが大勢いる。有り難いよ。
ポールの曲をカバーする可能性は?
もちろんあるよ!考えない方がバカだね。彼は素晴らしいソングライターだし。a-haとしてではなく、ポールはポール、僕は僕だから前と同じようにはならないけど。

ノルウェーでのテロについて、人や状況、ものの見方に変化は?
国中が影響を受けた。今はいろんな方法で乗り越えようとしている途中。国として、個人として、人と人との間で、一番重要なものは何なのか、どのような人生を歩むべきか、どう適応すべきか、何を優先させるべきか問いかけている。どんな背景があるのか、何かのサインなのか、どうしてこのような人を生み出したのか。モラルの応答、価値の問題。健全なプロセスなのか。ノルウェーだけじゃなく、人類として、自分達は誰か、どうなりたいのか。
人には大きく変わる能力がある、変わらないと。どうして膨大な人同士の対立に(時間や労力を)費やすのか。お互い言い争っている時間はない。まとまる必要がある。今目の前にあるものに取り組まないと壊れてしまう。自分達が変わって環境を考えないと。明日にとって最善なことは何か。政治家も政党も本当の意味では何もしていない。上辺だけではダメ。
人は生まれつきフォーマットされてるわけではない。自分で自分を形づくる。
1995年にモナコで会った時と比べても、今も変わらずGood shape。だけど奥に何かを隠している。フランクに言って今のままでOK?
自分を100%出しているわけではない。
時代は常に変わり続けているから、ずっと自分のままでいたければ変わる必要がある。問いかけに注意深く答える必要がある。自分に何度も問いかけ、最新の答えが何かを考える。自分は誰か、何者なのか。
曲作りについて
人にどう考えるか言うものでなく、人に刺激を与える音楽を考えている。プロパガンダは好きじゃないし、何にYes/Noを言うかは自分の価値で、とても大切。

ここで時間が来たので最後の質問。モスクワで何がしたい?
ツアーでは時間がなくて何もできない。ツアーじゃなく行きたいけど家族がいるし、まだ小さい娘が2人いて一緒に過ごしたいから無理。いつだって空いた時間を探しているけど挑戦の1つだね。たまたま時間ができることはあるから、3時間でもあれば嬉しいよ。

2012年6月2日

チーム・マグネ優勝

The Voiceは先週金曜日(5月25日)がファイナルでした。
ブラインド・オーディション、バトル、一般投票で毎週誰かが落とされるライブを勝ち抜いたファイナリストは各メンター1人ずつの4人。マグスがバックアップしてきたMartinが優勝しました。
これまでも視聴者からの得票率が高く、セミファイナルの後、マグスは彼について“全く違うけどモートン・ハルケットと同じクラス”と断言していました。

Martinのファイナル・パフォーマンス

最後のパフォーマンスが終わって結果を待っている間、緊張して落ち着かない3組の間でマグスとMartinは静かに立っていた。Martinはその場にいられるだけで満足そうだったので、優勝者が発表された瞬間は信じられないといった様子で目が点状態。マグスや他のメンター、ファイナリストにハグされながら呆然としていたようで、司会者に促されてステージの中央に立つと照れくさそうにトロフィーとレクサスのロゴプレートをちょっこっと持ち上げた。
この時の様子はThe Voiceの動画サイトで見られます。

実はオーディションに出るつもりはなかったと言うMartin、直後の記事によると“今どう思っているかが分かるのに時間がかかる”とコメント。別の記事によるとブラインド・オーディション当日は体調が悪く、行こうと思えなかったそうです。ファイナルの発表の日も客席から見ていた彼女が行くべきだと背中を押し、2人のメンターにOKをもらったわけですが、最初にボタンを押したのはマグスでした。(動画
マグスがモートンと出会い、いろいろありながらポールを含む3人が揃ったのはモートン23歳の誕生日。Martinも現在23歳で、タイプは全く違ってもその声に可能性があるとマグスは感じ取ったのかもしれません。
メンターのマグスはとても頼りになり、Martinによると“彼はとても素晴らしいサポーターで、時間に関わらずメッセージをくれた。”そうです。

マグスはこれからのサポートを考えていて、a-ha-live.comによるとMartinのアルバム製作に関わり、彼の将来のために最善を尽くすと話していたそうです。
ファイナルの前に姿を消したMonikaMonikaとのバトルで惜しくも敗れたTiniも今後の計画に含まれていて、TiniはロンドンのスタジオでMartinのレコーディングに合流予定。
ギャラリーやアートの分野でも忙しそうだけど、若手ミュージシャンを育てながら音楽にはずっと関わってくれそうです。


この日のメンターのパフォーマンスはパティ・スミスのBecause the night。
個人的にはViva La Vidaの方が好きですが、やっぱりキーボードをたたくマグスをずっと見られるといいなと思います。

原曲