2012年8月19日

The Voice - その後

マグスは来シーズンのThe Voice参加を打診されたものの、まだ新しい才能に向き合える状態ではないと断ったそうです。

8月10日付Dagbladet(KJENDIS = セレブ)の内容

新しいオーディション番組、The Voiceは昨シーズンのIdolより評価が高かったものの、来年はIdolに変わります。
Magne Furuholmenは新シーズンの審査員として参加できないか打診されましたが断りました。
今年の参加者が音楽業界に踏み出すサポートをするという約束を果たす前に、新しい才能に向き合うことはないでしょう。

 - (今シーズンの審査の過程で)約束を守るという信念を持って取り組んだ。最善の形で音楽の道に進めるようサポートする。
 - 本気で挑戦する前に次のシーズンをやるのは受け入れ難い。やり残したまま新しいことに取り組んだりしない。

Sondre Lercheも新シーズンの審査員はしたくないという意思を示し、Yosef Wolde-MariamHanne Sørvaagの2人は可能性を排除してはいなかったようです。
TV 2では2人の審査員に断られたからではなく、世界的に成功した形があり、ノルウェーでも多くのアーティストを生み出している上、来年はIdolの10周年に当たるなど、いろいろな理由があって決定したそうです。

いろんなことで忙しいマグスだけど、どれも中途半端に終わらせない所が彼らしいなと思います。

昨シーズンのノルウェー版IdolはYouTubeでもいくつか見られます。
http://www.youtube.com/watch?v=tfkFYzRfDzw&feature=BFa&list=PLC83E670298B56BA5

やはりa-haの曲も人気ですが、ちょっと???なタイトルもありました。

もちろんTVではちゃんと“HUNTING HIGH AND LOW”になっていますから、a-haをよく知らない人がアップしてそのままになってしまったのでしょう。

The Voiceはメンター(審査員)の負担がかなり大きそうだし、毎年続けるのは難しいだろうけど、The Voiceでも他の機会でも、またマグスが見慣れた様子でキーボードを弾く姿を見られるといいなと思います。

2012年8月18日

Roskilde Festival


7月5日、デンマークのRoskilde FestivalでApparatjikのパフォーマンスがあった。
前に募集していた写真はこのためだったのかと、動画を見て納得しました。

動画の方はRoskilde Festivalのサイトで見られますが、これは大人向けだろうと思われる演出もあるので子供が近くにいる場合はとりあえず1曲だけ見てストップした方が良さそうです。
動画ページは他のパフォーマンスが最初に表示されますが、上から3番目のOrange StageをクリックするとApparatjikを見られます。

最初は全員筋肉スーツで登場。
マスクはメンバーの中で一番知名度の低いMartinだそうです。


マグス(科学者が“神の粒子”を見つけた翌日): 今夜のコンサートはヒッグス粒子のお祝い。時間や空間を越えて操作するんだ。Roskildeに来る前からこうなると分かっていたよ。
4人のミュージシャンは今までに知られた形とは完全に違うことをしようと決めていた。
a-haのMagne Furuholmen、Mew(デンマーク)のJonas Bjerre、ColdplayのGuy Berryman、ノルウェーではThe Voiceでマグスのパートナーだったことでも知られるプロデューサー(スウェーデン)のMartin Terefeと、それぞれ有名な4人のスーパーグループ。
Roskildeのステージを控えたApparatjikを直撃。BerrymanはColdplayと別の世界にいて、Martin Terefeには誰もインタビューを申し出なかったので、FuruholmenとBjerreはTerefeに変装し、マスクをかぶったまま話した。

2人: 自分達の名声を探るのは面白い。Martinは知名度が一番低かったので、ステージではみんな彼になることにした。Roskildeの群衆を誰だか知られずに通り抜けるのは社会的慣習だと思うよ。
 - 今までずっと属していた業界への挑戦?
Bjerre: 自分達のやり方でやるショーだと思う。
Furuholmen: 僕達は世界の指示に従って生きてきたけど、手綱を離したらどうなるか見てみたいんだ。
 - だから実験に広いスペースが必要。いつも僕達に新しいことを教えてくれる。音楽ビジネスに挑戦しているわけじゃなく、自分達への挑戦だよ。音楽業界は制約が多すぎる。機械に小石を投げて、どうなるか見てみたんだ。
 - 誰かの意見をバカにするのも自由。他人の期待を壊す意味じゃなく、自分達の期待だけが、できることとできないことを知る方法だってこと。
 - 科学者が3分間のラブソングを作ってくれて嬉しいよ。

2012年8月6日

a-haとロンドン

2010年10月、a-haファイナルまで2ヶ月となったロンドンで、ベスト盤アルバム(25日本盤のみファン投票で中身と曲順を決定)のプロモーション(サイン会&ギグ)とロイヤル・アルバート・ホールでのシンフォニーコンサートがありました。

ロンドンは国際的な成功を目指した3人の最初の拠点。YouTubeでマグスがその場所を案内していたので、イベントの合間に地図とバス&地下鉄の路線図をチェックして見てきました。
最初にポールとマグスが住んでいた通り、(マグス1人かポールと2人かはよく分かりませんが)バイトしていたパブ、うまくいかなくて一度ノルウェーに戻り、モートンと3人で戻ってから住んでいたフラット。
2010年に聞いたラジオインタビューの中で、モートンがBBCで“ノルウェーを出た時はまだa-haじゃなかった。イギリスでa-haになった。”と言っていたので、このフラットが正にa-haのスタート地点だったんだと1人で感動していました。
後でa-ha友達のアルバムに同じ風景を見つけ、やっぱりみんな考えることは同じだなと思わず笑ってしまいましたが。

2010年12月4日にオスロで行われたa-ha最後のライブ(日本では輸入盤のみ)でStay On These Roadsの前にマグスも話していました。“27年ほど前、自分達の信じる音楽だけを手に街を離れたノルウェーの若いネズミ3匹のことを、今は容易に思い起こせる。ろくに散髪もしなければファンションセンスも・・・
(ここで頭が薄くなってきたことをよく言われるモートンが“今は散髪なんてしないよ。髪がないもん!”と突っ込んで笑わせてくれましたが、その後に“けどまだここにいるよ。あと1時間ぐらいは。”と言っていたのは寂しかったです・・・会場では聞き取りにくかったですが。)
マグスの言葉は日によって少しずつ違っていたけど、全く違うタイプの3人がとにかく音楽で食べて行くにはロンドンに行くしかない、オーディエンスがいなければ成功できない、という共通の信念を持ってロンドンに渡り、多くのファンに見つけてもらえたことを、いつも感謝していました。

フラットでは1つの電球しか使えず部屋を移るたびに外しては次の部屋に取り付けたり、ヒーターを使えなくてキッチンのオーブンで暖まったり、コインを入れないと電気が使えなくて同じコインを使い回したり、といった苦労話は初期の頃に雑誌で見ていたけど、この番組でモートンが電球の話をしていたので本当にいろいろ大変だったんだと思います。
それでもヒットが出なくて生活できなくなり、スタジオに泊まり込んで誰もいない夜に音楽を作り続けていたそうです。

YouTubeの動画でPart 1の07:08ぐらいからとPart 2の最初を見ると今ならネット検索ですぐ場所が分かるようになっているので、a-haファンにとっては聖地訪問のようなものかもしれません。



2010年の夏、a-haのファイナル以外にもイギリスでのイベントについて発信されましたが、a-ha.comのニュースはトピックが全て日本語になっているわけではないからか、日本人で知っている人は少なかったようです。
The Hut Projectというのは、ロンドンから電車で30分ほどの所にあるハンプトン・コート宮殿の庭に、平均寿命39歳、人口の4割がHIV+、日々の生活自体が大変なアフリカの貧困地域の住居と同じ小屋を建てて寄付を募るというプロジェクトでした。
http://a-ha.com/news/articles/the-hut-project/
a-ha.comのニュースは7月15日付、寄付を呼びかけるツイッターは7月17日に2回発信された。
2010年10月8日のシンフォニーコンサートではa-ha最初のアルバム(hunting high and low)と2枚目(Scoundrel Days)を順番通り全曲演奏したのですが、ロンドンの前に同じスタイルで行われたオスロでのコンサートは、Mercy Shipsという医療援助の必要な所に派遣される病院船の支援活動のために行われました。
a-ha.com日本語ページでThe Hut Projectが紹介されなくて残念でしたし、環境保護や国際問題への取り組みが日本でほとんど紹介されないことで、いつまでもa-haが見た目だけの軽いバンドのように扱われるような気がして寂しいです。
(2010年はhunting high and lowScoundrel Daysに別バージョンや未発表音源を付けたデラックス版が発売されましたが、リリース1週目にビルボードのネット販売チャートトップ40に入ったニュースも日本語にならなかったようです)
ただ日本のロック雑誌にしょっちゅう載っていたデビュー直後の頃はインタビューに環境の話はよく出ていたし、最後の来日でカーマガジン( http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/08/a-ha.html、 http://www.hobidas.com/blog/car-mag/ura/archives/2010/10/a-ha_1.html )が話を聞いてくれたのは初期からのファンにとって嬉しいことでした。

・・・このブログを書きながらオリンピックを見ていたら(オリンピックを見ながら思いついたことを書いていたわけですが)、シンクロナイズドスイミングでイギリスのペアがペール・ギュントの曲を使っていました。
どこで何がつながるか分かりませんね。

ついでなのでもう1つ。
ロンドン五輪の開会式でMr.ビーンローワン・アトキンソン)がロンドン・シンフォニーと競演(?)していましたが、a-ha貧乏生活エピソードの“コインを入れないと電気が使えない”という意味をストレートに理解させてくれたのが、実はMr.ビーンでした。
http://www.youtube.com/watch?v=5dgd13bxqE0
ローワン・アトキンソンは今でも大好き(90年代半ば頃は日本でもTV放映があったし、レンタルビデオがVHSの時代はブラックアダーやシン・ブルー・ラインもあって楽しかった)なので、開会式も思いっきり笑わせてもらいました。

2012年8月5日

ペール・ギュント

3月に発表されていたペール・ギュント・フェスティバルが1日開幕し、2日にペール・ギュントの家でマグスとHåvard Vikhagenの作品が公開されました。

マグス最近の画像ページより)

Budstikka.noの記事によると、今回の作品は新しく製作したものではなく、マグスが病院のシーツに描いた作品で、世界的に有名なイプセンのキャラクターを連想させるものだそうです。
マグネ: 絵を選ぶ時、ペール・ギュントのことを考えた。イメージが浮かんで、同時に待ち続けるソルヴェイの姿が浮かんだ。ノルウェー人、特に自分達のような芸術家にはちょっとペールに似た部分がある。批判的だから惹かれやすいんだろうね。

Håvard Vikhagenとの共演は今回が初めて。彼も新しい作品ではなく、ペール・ギュントを連想させる作品を選んだそうです。
Håvard Vikhagen: マグスの作品は(放浪を続けて)落ち着かないイメージ、僕の作品は求め続けた末に得られた安らぎを表している。

2人の作品は8月11日まで展示されています。

a-ha-live.comはもう少し詳しく載せていました。
マグス: いくつものことが同時に起こっている。僕はたくさんのボールでジャグリングしていると、もっとボールを増やしたくなるんだ。ペール・ギュントも僕もたくさんの人生経験があり、ずっと何かを経験していたい。だけどいつだって居場所を求めている。
今回の展示には“Futura Plus”の作品も含まれているそうです。
マグス: 僕は音楽的な視点から作品に取り組んでいて、感情が演奏する部分が大きい。自分のアートが歌えるといいんだけど。とにかくHåvardと一緒に取り組めてワクワクするよ。

8月11日まで行われているエキシビションのタイトル、“For jeg er født til kunstner, ser du”(アーティストに生まれたんだから。分かるだろ。)というのはイプセンの引用だそうです。